『ひきこもりのそとこもり』ひきこもり猟師物語

ひきこもりが 生きる場所を探す物語を ここに残していく。

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思い返せばここから始まった僕の発信するという生き方。
どう考えても向いてない発信だったけど、

なんだかんだ沈んだり復活したり
それでも一応続いているのは、ひとえに応援してくれる人がいるからです。

人と比べたらきりがないし、
もう何かを始めようとした時に怖がるのはやめちゃおうって思った最近です。

臆病で大胆というのは僕の特性の一つですが、
他人の目を気にした臆病というのは昔の僕が陥った負のループでした。

例えば身だしなみを気にするとかにしても、人の目が気になるからしていましたが
今はそんなのはどうでもよく、自分が清潔にしていた方が心地良いからする。とか

他人に自分が動かされるような形ではなく
自分がしたいから。というう考え方であれば、

無駄な時間も結果が出なかったとしても、別に落ち込まないんですよね
誰かにブーブー言われても、あそう?ごめんね
ってスルーできちゃうことに気づいたんです。


逆に例えばAさんに気に入られたいから、という動機で何かを頑張るとします。
しかしその結果を見てAさんは不満を漏らします。

すると他のBさんCさんに好評でも、その努力は自分の中では無駄になります。
それだけではなく傷つきます。もういいことないじゃん

そもそもこの場合のAさんは、減点制気質である気がするので、
付き合ってるだけで疲弊するでしょうけど。



すると一つの結論に。
Aさんのために頑張るの無意味じゃない?


僕はこう思います。
何事も他人軸に合わせて頑張ると、他人の船が沈めば自分も揺らぐ、
Aさんの世界でしか光らないランプを持っていても
Aさんの世界との繋がりがなくなった時、そのランプはただの文鎮になるのです。

そんなもののために自分の精神や時間を削るのならば
[自分の世界で絶対光り続けるランプ]を作りそれでAさんの世界に持参するくらいのがちょうどいい。

Aさんがその光が心地よくないと感じるならそれまでで
気持ちを入れ替え、その光を気に入ってくれる人を探せばいい。


しかし今の世の中は自分の世界で光るランプは作らず、
他人の好みのランプだけを
しかも相手に合わせただけのオーダーメイドで量産する人ばかりだと思うのです。


そしたら相手が消えたら自分の世界は真っ暗です。

それはよくない、ムカつきませんか?
自分に

例えるのならオンラインで接続してる間だけ
相手のサーバーに構築されるゲームデーター


ゲーセンで100円入れて
セーブできないRPGソフトをプレイしているような物




簡単にいうと、依存と共存
共存するには確かに嫌われたりトラブルも起こりやすいかもしれないけど、
それは自然であり、より個々が自分らしく生きられる在り方だと思います。


自然環境なんかもそうじゃないかな?

おわり


つづく

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