『ひきこもりのそとこもり』ひきこもり猟師物語

ひきこもりが 生きる場所を探す物語を ここに残していく。

不幸や苦難というものに、僕が思うこと。

引き寄せの法則って聞いたことある人いますかね?

一見、関係ないところで世界線という単語も。

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前者は、理想を強くイメージし続けることで実現しやすくなるって話。

四六時中かんがえてれば、いやでもその方向に向かっていく、そんなイメージです。

 

バイクを運転するとき、顔を向けた方向に意識しなくても、不思議と曲がっていく現象に似てるなって思ってる。

 

 

 

世界線は、簡単に言えばパラレルワールドで、ある選択を実行するまではありえたかもしれない、あったかもしれなかった世界。本当にそういうのあるんじゃないかなって僕は思います。

 

 

 

 

僕らが生まれてきて、今生きてるのは、遠い日の奇跡の連続じゃないですか。

 

 

適当に例えてみると、

父と母はある趣味を通じて出会ったーーーー

その趣味を持つきっかけになったのは友人ーーーー

友人と知り合ったのは職場の部署が同じだったからーーー

 

そんなチャートの中でだけでも気が遠くなる分岐点があったはず。

 

 

何が言いたいかっていうと、人って悪いこと、不幸なことが無意味で、時間の無駄だと思いすぎじゃないですか?その結果が100点中0点ではないかもしれないのに。

 

もしかしたら100点中80点の最善といってもいい状態かもしれないじゃん。

 

なんでそんなこと起きるんだと思うと、個々の「こうなるはずだ、そうあってほしい」という自信と願望が基準だからだと思う。

 

 

 

極論で言えば、0点だと死ぬ日だとする。

そのチャートはこうなる。

 

 

0点の場合

 

朝:仕事開始の30分前に職場に到着。

昼:順調に仕事を進め、残業もなく帰れそう。

夕:帰宅中、工事現場からの落下物に直撃し・・・死亡

 

社会的には100点だったはずなのに、毎日変動する何かの点数では0点。

 

20点の場合

 

朝:仕事開始の30分前に職場に到着。

昼:仕事でミスがあり、帰り際に少し呼び止められる。

夕:帰宅中に落下物に接触し意識不明の重体。後遺症を負う。

 

 

100点 の場合

 

朝:寝坊し30分の遅刻で職場に到着。多くの人の前で怒鳴られる。

昼:終始、上司に当たられて挙句残業。気分はbat。

夕:見兼ねた同僚に「一杯行こう」と居酒屋へ。

深夜:ゲロにまみれながら帰宅。

翌日の朝:二日酔いの上、財布も紛失。

 

 

こういう事が日常的に起きてるとしたら、

不幸も必ずしも不幸だとは限らないのでは?自分の基準では不幸なだけで・・・

と思って僕は生きています。これは毎日どん底で息をしているのも辛かったとき、現実逃避がしたくて生み出した思考法ですが、最近ただの思い込みや逃避ではなかったかもと思い始めています。

 

 

 

 

そう思ったのは数年前に友人に言われたことがきっかけでした。

 

20歳の頃、もちろん絶賛引きこもり中の僕でしたが、

間違えてLINEを送ったのが原因で地元の友達のSと、時々遊ぶようになりました。

 

でも夜しか外に出れなかったので、遊ぶといっても最寄りの公園で酒飲みながらくだらない話をするくらいでした。

 

そのSは中学までの同級生で、何かと肩パンはしてくるし、

人をおちょくる態度がたまにいけ好かないやつでした・・・

けど、一緒にいて素でいられる数少ない友人でした。

 

サッカーも上手く、勉強もめちゃくちゃできて、高校も大学もかなりすごいところまで行ったらしい。エリートですね、家族も皆エリート。

 

 

 

そんな彼と数年ぶりによく会うようになって、ある日のこと。

その日は同じ中学の同級生であるMSとの三人で集まりました。

チャリで少し離れた公園に向かい呑むことに。

 

 

話も盛り上がり、酒も進みと、トイレが近くなったので離席。

戻ると二人の姿がない。

 

最初は、隠れて物陰から様子を見て楽しんでるのかと思い、

平然とジーマの瓶を煽りながら、足を組んでいました。

 

すると30分経っても姿を表さない二人に、「おい!いい加減にしろよー。もう飽きたぞ!出てこないと帰るから!」と深夜のだだっ広い公園で叫びました。

 

でも出てこない。

買い出しでも行ったのかもと思い待つ。

1時間くらい経過してから、Mからラインの返信がきた。

「もう家帰っちゃったw」

 

 

・・・・・・・ああ懐かしい。この感じ。と中学生の頃の気持ちが蘇る。

電話すると、「Sが、面白いからこのまま帰って見ようぜってな、すまんw」

「まあいいや、またな」そんな感じでその日は終了。

 

 1年と半年後・・・

 

徐々に外に出れるようになってきた頃、

その日は良いことがあり、誰かに話したくてたまらなかった。

久しぶりにSにLINEをした。

 

「久しぶり!お前、前回のこと覚えってんだろうな!

それはそうと暇だったら遊ぼうぜ」

 

返信がすぐきた。

 

S「ごめんなさい。なんのことですか?(T . T)」

 

「とりあえず良いから暇なら飲もうよ、!Mも呼んで!」

 

S「ごめん、誰でしたっけ?^^;」

 

なんだこいつ、なんで敬語なんだ?それにこの絵文字。

 

「〇〇だよ!前回三人で遊んだろ?お前ら先に帰りやがって、許すまじ!」

 

S「いや、記憶ないんだよね。」

 

「そんな飲んでなかっただろw」

 

S「話してなかったかな、事故でさ」

 

 

話が意味不明なので電話。

 

「久しぶり!記憶ないの?w

S「 あれ・・ツチヤだよね?

「うん。

S「ごめん、事故で記憶おかしくなっちゃって、覚えてないんだよ」

「事故ったの?

S「そう、バイクで。それで数ヶ月前までやばかったんだよね

「マジかよ、ちょっと意味がわからないんだけど、そっち行くわ。

 

 

そんな感じで公園で待ち合わせた。

 

 

嫌な予感がしたんだけど、実際に会わなきゃわかんないと思って会いに行くことに。

Sがいた。手を振り、気がつくと驚いたような変な顔して歩いてきた。

 

足を引きずってる。ああ、冗談じゃなかったんだと思い、大丈夫かよ!と声をかけると。

S「おっ・・・・久しぶり・・だよね。ツチヤ?だよね?

口調も声も、顔も全然違った。正直泣きそうになった。

あ、これ俺のこと分かってないって。

 

話を聞くと記憶喪失だった。

 

最後に会ってから1年後くらいの頃、単車に乗り始めた彼は大雨の日に

正面から逆走してきた車にかなりの速度で正面衝突したらしい。

 

バイクは木っ端微塵、左半身を強打し脳挫傷や粉砕骨折。

生死をさまよって、目が醒めると、親も兄弟もみんな知らない人だったという。

 

そこからリハビリをしてなんとか生活できるように。

しかしそれに重ねて、父も病気で他界したらしい。

 

なんとか力になりたいと彼の話を聞き続けた。

 

記憶障害は重く、バイクに乗っていたことも記憶になく、

病院から帰った自分の部屋を見て、自分がサッカーを好きだったことすら知ったという。あんなにサッカー馬鹿だったのに。

 

友達や親のことについては、

近しい存在だった人のことは断片的に蘇ったりするらしかった。

 

そして新たな記憶の定着が難しいこと、温度がわからない、嗅覚を失い、左半身にはボルトだらけ、 発声障害。他にもいっぱいあると思う。

 

 

 

ある日、彼はなんのために生きてるかわからないと、楽になりたいと、真顔で言う。

苦しさのジャンルは違えど、これは僕に重なった。

 

そして今の不幸がもしかしたら「あったかもしれないの未来の中では、

まだいい方」「後悔してしまう選択さえも最善で、むしろ良い方向に転がるために必要な事なのかもしれない」という、

 

僕の思考法を、悩んだけど聞いてもらった。

彼の苦しさは想像もつかなかったので、

自分のための思考法なんて意味ないかもだし。

逆効果にもなりかねない。

 

 

 本当に限界の人にポジティブはになる。

 

でも気持ちのない応援なんか、もっと糞食らえなんです。

 

「障害が残ったとしても、生きてるだけでよかったよ!

せっかく生きれたんだから、もったいないよ!

本当に些細なことでも協力するから一緒に頑張ろう」

とそんな事を言ってその日は別れた。

 

 

それはそうと、嘆く人をメンヘラだと一纏めにする風習。

それはまさしく自己中心的な考え方ではないだろうか。

「自分だけが辛いと思うな」

なんて色々なものを一纏めにした、自分基準の言葉なんだと思う。

自分が本当に辛い思いをしたなら、多少の理解はしてあげられるはずだからね。

 

 

 

それからは卒業アルバムや写真を持って、

暇があれば夜な夜な彼の家の前まで行き、昔のことを話したり、

音程が取れなくなってしまってけど、今でも歌が好きなことを知り、

一緒にカラオケに行ったり。

 

すると不思議なことに、僕が話す昔話を聞いている彼は、たまに

「おおーー!〇〇懐いな!!」「そんなことあったな!!」と時々思い出したりしてるようにも見えた。で、Sがどんなやつだったかを本人に説明するという、不思議なこともした。

 

事あるごとに、「あーこれ好きだったよな。これ嫌いだろ。」とか僕が言うもんで。

「なんか気持ちが悪いな、全部見透かされてるみたいで。」とそんなことも言っていた。 うざいと思われても、少しでも刺激になったり、思い出して欲しかったから。

 

 

 

なんでこんな必死になってたのか、それは父に重なって見えたからだと思う。 

僕の父も脳に障害が起きて、

別人のようになってしまうのが、本当に辛かった。

だから脳のこととか必死になって調べたし。

症状や、治療法、本や、ネットで書かれてないような関連性がないか、

様々な視点で調べて見たりもした。

 

 

だから特性も理解できるし、不自由になった彼といても苦ではない。

罵せってきたり、あのひょうげた表情もなくなってしまい。

たまにさみしいなと思ったけど。

 

 

 

しかし僕は感動することもあった。

記憶喪失は、思い出も全部消えてしまうし、自分も周りも本当に辛いことだと思う。

一度なったら、今までを築き直せないし、もう立ち直れる気がしないと思っていた。

 

でも彼と定期的に会うようになって一年ほどして、感動したのは、

選ぶこと、やろうとすること、口調、うまく言えないけど色んなことが事故の前の彼に近づいてきていて、

着実に20数年間をトレースしているように感じた。

 

正直、再開した時は別人のようだったし、

昔の彼はいなくなってしまったんだと思った。

 

でも一度記憶を失っても、選ぶ選択は同じ。と言うことが妙に嬉しくて感動した。

多分、また同じ関係になれるな…と。思い出せないところは僕らが教えてあげればいいと思った。例えるなら、バックアップデータのような。

 

 

そして、ある日カラオケからの帰り道にこんなことを真面目な口調で言われた、

「実はあの時、ツチヤに言われた考え方に何度も救われたんだよね。

後悔するような結果になっても最善の選択だったてやつとか。

本当に感謝してる」

 

びっくりしたし、そんなにしっかり受け止めて聞いてくれていたと思わなかったから。

俺なんかの言葉が、人の助けになったことが嬉しかった。

 

しかも、彼から感謝の言葉を聞いたのは

初めてだった気がしたので、不思議な気分になったのであった。

 

それを最後に、僕も彼も地元から引っ越すことになったのだが、

元気してるだろうか。とある「区切り」を終えたらこっちから連絡すると言われたので

あえて連絡はしていないのである。

 

 

例えば災害で自分が死ぬかもしれないし、大事な人が死ぬかもしれない。

どんな理不尽な不幸が起こるかわからないけど、 

 それでも必死に例え無様にでも生きていこうと思うし、生きて欲しいと思う。

 

それは野生の動物を見ていても尚更強く思うことです。

 

 

 

それでは何を伝えたのかわからない長文でしたが、眠いので終わりにします。

おやす。